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ロシア人が人質になりにくい理由

1985年9月にレバノンでヒズボラによってソ連外交官4名が誘拐されるという事件が起きた。ヒズボラはソ連外交官4名と引き換えにソ連に拘束されている捕虜の釈放を要求してきたが事件はその後、膠着状態に陥った。

進展を求めたヒズボラは人質の一人を殺害した。ところが、ソ連は同胞が殺害されたことを知ると、却って態度を硬化し、改めて強硬な手段で事件の解決を目指すこととなったのである。

そして、それを任されたのがプーチンも所属していたKGBである。事件の解決を任されたKGBは、ヒズボラと交渉などはせず、ソ連外交官の誘拐を行った犯人グループのリーダーを特定し、そのリーダーの甥を誘拐した。
普通はその甥と引き換えに外交官の解放を求めると考えるかもしれないが、そうではなかった。

KGBはヒズボラのリーダーの甥を誘拐すると、その甥の体の一部を切断し、その切断した部分をヒズボラへ送ることで、外交官の即時解放を要求したのだという。そして、親戚の体の一部を送り付けられたヒズボラは、KGBの手口に恐怖し、直ぐに外交官を解放。

しかし、これで終わりではなかった。

KGBは外交官が解放されたことを確認すると、誘拐したヒズボラの幹部の甥を解放せずに殺害した(それもヒズボラが殺害した外交官の殺害方法と同じ手口で)。

ヒズボラは誘拐したソ連外交官の内、一名を殺害しており、ソ連も一名も殺害しなければバランスが取れないというのがKGBの論理なのだという。


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